153church(キリスト教会)における、イエス運動の実践。

153churchの神学

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153churchの神学

 現代のキリスト教会は、いくつかに分類されます。歴史的な背景から分類すると、カトリック教会、正教会(東方教会)、聖公会、プロテスタント教会など。そして、その中でも、例えばプロテスタント教会であれば、ルター派、改革派、メソジストといったように、様々な教派があり、この教派が生まれた背景はそれぞれの神への応答の理解、つまりは、礼拝様式や信仰の方法など、神学の違いということになります。それぞれの教派が、どのような立場で神様に向かい、聖書を解釈するのかが違っているために、これまでいくつもの教派が誕生していきました。

 153churchは、旧約聖書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記上、サムエル記下、列王記上、列王記下、歴代誌上、歴代誌下、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、ヨブ記、詩編、箴言、コヘレトの言葉、雅歌、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書)全39巻、新約聖書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書、使徒言行録、ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙一、コリントの信徒への手紙二、ガラテヤの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一、テサロニケの信徒への手紙二、テモテへの手紙一、テモテへの手紙二、テトスへの手紙、フィレモンへの手紙、ヘブライ人への手紙、ヤコブの手紙、ペトロの手紙一、ペトロの手紙二、ヨハネの手紙一、ヨハネの手紙二、ヨハネの手紙三、ユダの手紙、ヨハネの黙示録)全27巻の合計66巻正典であるとし、それ以外何ものも信仰の指針とすることはありません。そして、この聖書が証しする、父・子・聖霊なる三位一体の神のみを信仰の対象とし、それ以外は何も信仰の対象とはいたしません
 また、サクラメント(聖礼典)は、聖書においてイエス様がなされたことを根拠とする洗礼聖餐のみの二つとし、これ以外の行為は一切サクラメントとは認めません。洗礼に際しては、イエス様を救い主(キリスト)とし、父・子・聖霊なる三位一体の神を「心で信じて(中略)口で公に言い表」(ローマの信徒への手紙10:10)すことでその恵みを授けます。そして聖餐は、この洗礼を受けており、その信仰を毎回告白し、イエス様の弟子である自覚をもって歩んでいる者だけに、その記念として聖餐の恵みが与えられます。ですから、フリー聖餐(未受洗者、信仰を告白していない者への聖餐)は一切認めません。

 以上の点から、153churchはプロテスタント教会としての自覚の上で、その福音を宣べ伝える神からの召しに応答していきます。

 Jean Restout(1692-1768), Pentecost, 1732.

ツムラヤ牧師の神学

 また、牧師を務める私ツムラヤは、キリスト教の神に、特に3つの点から向き合おうとしています。つまりこれは、私の神学そのものということができます(※これ以外の神理解・教理を軽視し、蔑ろにするというものではありません)。
 まず一つ目は、私の信じる神様はインマヌエルという、いつも共にいてくださる方であるという救済論に通じる神論です。二つ目は、イエス様の十字架と復活は私のために成してくださったという贖罪(しょくざい)論です。そして三つ目は、いずれ裁きの日が来るという終末論からの神の国についての点です。一つ目の、インマヌエルのお方であるということは、私が神様を信じるきっかけになったことそのものですから、私にとって一番重要な点であり、そのために言わばこの点は得意分野です。また、三つ目の終末論や神の国に関することは、何ものにも勝る希望そのものの根拠であり、この点も得意分野です。しかし、二つ目にあげた贖罪論は、正直私は苦手分野です。いくら単立教会であれ、その歩みを始めるということは牧師として、それでいいのか?と思われるでしょう。そういう私自身も、この事に対する迷いがあったために153churchをどのように展開していけばいいのか、その一歩が踏み出せなかったのです。ですが考えてみると、そもそも、私たち人間は神様を、聖書を、知り尽くすことなどできないのです。もし、人間が神様を理解できるのだとしたら、それは、有限で限界のある人間にすら理解しうる限界のある神となってしまい、本来聖書が証しする全知全能であり万軍の主である神様ではなくなってしまいます。この当たり前ともいえる原点に立ち返りまして、特に贖罪論については、今後出会うイエス様を信じている方、これから信じたいと思う方とともに、謙虚に聖書の声を聴いていきたいと願い、私自身も学び続けたいと思っています。もちろん、聖書を読むという訓練はしてきましたので、神様が与えてくれた理性によって聖書を学び、そこから神様の声を聞くという信仰の大前提を押さえつつ、「神の言葉」としての説教を大切にしています。

153church
ツムラヤトシオ

寄稿者

153church牧師ツムラヤトシオ
好きな時代は教父時代、
好きな神学者はオリゲネス、エラスムス、
好きな教理は、至福直観。
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